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兎の角論

眠井うさぎです Twitter:@nemui_usagi_

フェミニズムと本能

 

 女性は自立する。

 恋人がおらずとも、結婚しなくとも、子供を産まなくとも女性は自立することが出来る。

これは紛れも無い事実である。

 

「あの子は子供を産んで一人前になった」

 という言葉を耳にすれば、フェミニストは怒り出すかもしれない。子供を産まない女性は一人前ではないのか?私は答える。一人前で無い訳がない、と。

 それでも「子供を産むことで一人前になる」という考えにも一理ある。なぜなら人間は『動物』であるからだ。

 

 動物である限り、本能的にその種を守らなければならないという考えが皆の根底にある。

http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q1463546664

 私はこの回答者の答えに息を飲んだ。

 確かにそうだとしか言えない。

 

 これは「本能」なのだ。パートナーを作り、子供を産む、子孫繁栄は人間という固有種を存続させるために必要なことなのである。動物に生まれた以上はこの根底から逃れることは出来ない。

 

 フェミニストの中には男女の体格差、体力差、性的役割について無視し、男女平等を唱える者がいる。ふとそれを思い出した。

 

 

 

インターネットと価値

 

 先日、プチ整形をした。

 

 やったのは二重。埋没法で、手術が終わった後の腫れた目を写真に撮り続け、身内だけに公開しているツイッターにアップした。5日目で「腫れが大分引いたな」と思い、1日目から5日目までの比較画像を作成、ツイッターに公開した。なんだか有益なアカウントみたいで嬉しかった。

 

 その後、元々アイプチを駆使して幅の広い二重にして化粧することが多く、その段々狭くなる二重に物足りなさを感じてきた。いつも通り鬱に陥り、「もっと広く二重にすればよかった」「でも広すぎても自分は文句を言っていただろう」とまたもやツイッターで独り言を言った。

 

 

 ふと考えがよぎる。

 自分の辛さがツイートによって一つのコンテンツとして昇華するなら、それでいいのだと。

 昇華することによって失敗してもいい気持ちになる。その失敗自体が価値なのだ。例えば「整形した後の経過を報告するブログ」は価値がある。私も施術した後はいろんなブログやツイッターを漁り、自分の経過と見比べた。たぶん多くの人は手術する前にそれらを見て、自分の今後はどうなるのか、と先人の導きを乞うだろう。

 

 失敗が一つの「成功」の形となる。整形だけに限らず美容グッズの購入報告だってそうだ。そして世の中の不満を言ったり、仕事であった人の悪口を言ったりするツイッターのアカウントだって、それを公開するまでは1人で抱える「嫌なこと」に過ぎないが、公開することによって共感を産んだり、賛同者と交流できたり、これは付随的な物ではあるが反応を得ることで承認欲求を満たすことができる。嫌なことが一つの「良いこと」に転身する。

 

 これらのツイッターのアカウント(やブログなどのインターネット公開をする人)は、そういう面を無意識的に(意識的な人もいるだろうが)持っていて続けているのだという気持ちになった。

 

 これは彼ら(彼女ら)に限ったことではない。私はツイッターが大好きで、一人でいるときは大体その時思ったことを呟いている。そして呟くことで「一人じゃない」という気持ちになる。自分以外の誰かに発信している気持ちになる(当たり前だが)。

 もし道で転んだとして、そこに友人がいればきっと笑い話になるだろう。でも一人でいたらどうか?周りを見渡して、人がいたら恥ずかしく、一人でも虚しい。膝を払って痛みを抱えながら何もなかったかのように歩くしかない。

でも私にはインターネットがある。

ツイッターがある。

 「さっき転んで痛かった」と呟けば笑いのネタになるかもしれない。ならなくてもさっきまでの虚しさは半減する。なぜなら「ひとりじゃないから」。

 

 

  インターネット(私は主にツイッターをしているのでツイッターの話ばかりになってしまった)で自分自身を発信していくことは大きな力を持っている。0をプラスに転換することができる。無価値を価値のあるものにする。一つのコンテンツとなれば、それは昇華であり、成功だ。